フェスティバルの企画や準備に長い時間をかけていると、本番まではいつもずいぶん先のことのように感じます。一年の大半、フェスティバルはまだ少し抽象的な存在です。カレンダーの日付、ミュージシャンとのメッセージ、機材のリスト、フードトラックや駐車場、ケーブル、宿泊、印刷物、ビザ、そして天気についての会話。たった一日のために何か月も考え続けているせいか、その一日はなかなか近づいてこないように思えます。
ところが、気がつくと、もうその日です。
今年は、本番前の数週間にいつも以上にいろいろなことがありました。ライブイベントを準備していれば当然起こるようなこともあれば、そうではないこともありました。その中でいちばん気がかりだったのが、Max Hightowerのビザでした。
Maxは高遠で演奏するためにアメリカから来日する予定でしたが、最初の申請は却下されました。そこからもう一度手続きを始め、必要な書類をそろえ、フェスティバルに間に合うよう再申請をして許可を得なければなりませんでした。ようやく承認されたのは8月21日。Maxは24日に現地でビザを受け取り、25日に飛行機に乗り、29日には高遠のステージに立つ予定でした。
本当に、ぎりぎりでした。
それが解決すると、今度は交渉の余地がまったくないものに意識が移りました。天気です。
フェスティバル前の一週間、予報はなかなか読めませんでした。私たちは本番が近づくと4つか5つの気象サービスを見比べています。確実な答えが得られるからではなく、起こり得る範囲を少しでも把握するためです。今年は予報が何度も変わりました。雨が現れ、消え、また戻ってくる。時間帯も動く。あるサービスではにわか雨、別のサービスでは午後は比較的安定している、という具合でした。
前日の夕方になって、ようやく少し落ち着いたように見えました。予報は時折の弱い雨にまとまり、それなら対応できそうだと思いました。私たちはその見通しのまま、最後の準備を終えました。
翌朝、その見通しはまた変わっていました。
天気は再び不安定になり、一日のかなりの時間、雨になりそうでした。同じ頃、The Broken Blues Bandからメールが届いていました。彼らは自分たちのステージに出演するだけでなく、Maxのバックバンドも務める予定でしたが、フェスティバルへの出演を辞退するという連絡でした。
メールは夜のうちに届いていました。彼らのサウンドチェックとセットアップまでは、およそ7時間しかありませんでした。
理由は書かれていませんでした。
時刻は、朝の5時30分頃でした。
その時間のポレポレの丘は、まだフェスティバル会場という感じではありません。高遠の、朝がきちんと始まる前の丘です。ステージもテントも立っています。ケーブルも予定どおりの場所を走っています。でも、その日をやがて満たす人たちのほとんどは、まだ自宅にいます。何人かのボランティアが動き始め、機材を確認し、車が少しずつ入ってきます。こういう朝には、コーヒーの重要性が普段より少し増します。
そして私たちは、ここからどうするかを考えなければなりませんでした。
Maxはすでに高遠にいました。前の週までどうなるか分からなかったビザの手続きを経て、太平洋を越えて演奏しに来てくれたのに、一緒に演奏するはずだったバンドが突然いなくなってしまったのです。
その朝、何が起きたのかについては、佐藤 航さんがその中心にいました。ここから先は、本人に話してもらうのがいちばんだと思います。
Gecko&Tokage Paradeは、これまでフェスティバルに来てくださった方にとって、すでに馴染みのある存在でした。その日の朝、彼らはほとんど時間のない中で、Maxのサポートを引き受けてくれました。
ほかのミュージシャンたちからも、手伝えることがあればという声が上がりました。
長いリハーサルができるわけではありません。一週間かけてアレンジを相談したり、誰がどこに立つかを決めたりする時間もありません。ミュージシャン同士が話し、聴き、どうするかを考え始めました。
ただ、その前にもうひとつ問題がありました。The Broken Blues Band自身のセットが予定されていた時間が、そのまま空いていたのです。
Maxは、その時間を自分で埋めました。
本来予定していた演奏とは違う形で、彼はアコースティックギターを一本持ってステージに上がり、急きょソロセットを演奏しました。日本に来るまで思い描いていた午後とは、まったく違う午後になっていました。それでも、事情を取り繕うことも、バンドがいなくなったことをなかったことにすることもありませんでした。その時間にあったのは、ひとりのミュージシャンと一本のアコースティックギター、そして彼が海を越えて持ってきた曲だけでした。
その後、同じ日の中で、状況はまったく違うものも生み出しました。
MaxはGecko&Tokage Paradeとともに再びステージに立ち、そこへSolitary Circusの折田祐介さんと青木慶太さんも加わりました。そしてMaxのオリジナル曲「My Baby & Me」を演奏しました。
この演奏はこちらで見ることができます。
私たちが最初に「Takato Rhythm」という言葉について考え始めたとき、たぶんこういうことを表現したかったのだと思います。ただ、その頃はまだ、これほど分かりやすい例を持っていませんでした。
こういう瞬間をプログラムに組み込むことは、ほとんどできません。人が人にどう応えるかによって生まれるものだからです。信頼するミュージシャンを呼ぶことはできます。出会う時間をつくることもできます。ステージを用意し、すべての余白を指示で埋めないようにすることもできます。でも、どこかの時点で運営する側は手を離し、ミュージシャンに任せなければなりません。
あの演奏が生まれたこと以上に印象に残ったのは、朝の問題に対して人々がどう反応したかだったのかもしれません。ひとつの出演辞退によって空白が生まれ、ほかのミュージシャンたちはそこから離れるのではなく、その空白の方へ近づいていきました。
天気も、その日は少し似たようなことをしていました。
高遠には雨が来たり、去ったりしました。空気の中に細く漂う程度のときもあれば、上着の前を閉じたり、屋根の下へ少し深く入ったりする必要があるときもありました。芝は濃い色になり、谷の向こうの山は低い雲の中に現れたり消えたりしていました。会場のあちこちで、傘が開いたり閉じたりしていました。
屋外の音楽は、晴れた日の写真で語られることが多いものです。ステージの後ろに青空があれば、それだけで分かりやすい風景になります。雨はもう少し複雑です。人の動き方や集まる場所を変え、ステージと客席の距離を変え、足音まで変えます。木々の色さえ違って見えます。
そして、どれだけ長くそこにいるかという判断にも影響します。
それでも、人は残りました。
solh instrumentalの音楽は、その風景の中にとても自然に収まっているように聞こえました。音はステージから、濡れた空気や木々、低く垂れ込めた雲の中へと広がっていきました。しばらくのあいだ、音楽と周囲の景色の境目が少し曖昧になったように感じられました。大きな出来事が起こったわけではありません。ただ、音楽のまわりで丘が静かになっていきました。
高遠は、ずっとこういう形でフェスティバルの一部でした。ここは、ただステージを置いた中立的な場所ではありません。地面の傾斜、客席の上にある木々、その向こうの山、変わり続ける天気が、音楽の聞こえ方を変えます。場所とぶつかる音楽もあれば、いつの間にかその場所を見つける音楽もあります。
小野アイカさんとバンドは、そこにまた違う空気を持ち込みました。力があり、輪郭のはっきりした演奏でしたが、ブルースの中にある会話の感覚は失われていませんでした。人が少しずつステージの近くに集まるにつれ、雨のことを気にする人も一時的に減っていったように見えました。
Gecko&Tokage Paradeは、その日の朝、すでにほかの誰かの問題を解決するために時間を使っていました。その後、自分たちの音楽を演奏するために改めてステージへ戻ってきました。何度か高遠で演奏している彼らには、すでにある種の親しみがあります。ただ、親しみがあることと、何が起こるか分かっていることは同じではありません。
同じミュージシャンを何度か聴いていると、むしろ変化の方が聞こえるようになります。演奏者同士の間にある空間や、誰かがフレーズを少し違う方向へ動かそうとしている瞬間に気づくようになります。ミュージシャンと聴く側との関係も、そうして時間をかけてできていくものなのでしょう。次に何が起こるか分かっているからではなく、少し知っているからこそ、以前より注意深く聴くようになるのです。
そして、Max自身のフルセットが始まりました。
組み合わせとしては、かなり珍しいものでした。ジャズ、インストゥルメンタル・フュージョン、即興の会話を軸にする日本のフュージョンバンドと、アメリカ南部から来たブルースミュージシャン。Maxが当初一緒に演奏する予定だったバンドではありませんし、この二つの音楽世界をどう重ねるのかを考える時間も、ほんの数時間しかありませんでした。
それでも、彼らはほとんど最初から一緒に演奏できていました。
普段から同じ曲を何度も演奏しているバンドに比べれば、ステージ上で交わされる合図は少し多かったと思います。視線、ギターのネックの小さな動き、誰かがフレーズをほんの少し長く伸ばし、その先をほかのメンバーが見ている瞬間。ただ、それは慎重さには見えませんでした。すでにひとつのバンドとして演奏は始まっていて、最初の数曲の中で起きたのは、もっと微妙な変化でした。
少しずつ、演奏家同士の感覚が浸透していくようなことが起こりました。
Maxのフレージングがつくる余白を、Gecko&Tokage Paradeが自分たちなりの方法で使い始めました。Geckoが持つ動きや即興への感覚は、Maxの曲の中から別の可能性を引き出していきました。一方の音楽がもう一方へ近づいていったというより、互いの要素が少しずつ相手の演奏の中に現れ始め、どこまでがサザン・ブルースで、どこからがフュージョンなのかを分ける意味が薄れていきました。
ミュージシャン自身も、その変化に気づいていたように見えました。表情が変わり、合図は少なくなり、ステージのあちこちで笑顔が見えるようになりました。演奏を楽しんでいること、そして少し先が分からないことそのものを楽しんでいることが、客席にも伝わってきました。
Gecko&Tokage Paradeのリードギター、黒澤継太郎さんは、しばらくのあいだ自分の中のPeter Greenを呼び出しているようでした。Gecko自身のセットではそれほど前面に出ないブルースの語彙が、ギターから次々と現れてきます。その周りでは、バンド全体が、自分たちの音楽を普段とは違う場所へ押し出したときに何が起こるのかを、かなり楽しんでいるようでした。
一方のMaxは、そもそも私たちが彼を高遠へ呼びたいと思ったものを、そのまま持ち込んでいました。声にはざらつきがあり、南部のブルースらしい低い唸りがあり、フレーズには少しルーズな余裕がある。曲を「披露する」のではなく、そこで生きているもののように聞かせる感覚があります。その音が高遠の山の中に響いていることは、良い意味で少し不思議でした。地理的には長い距離を旅してきた音楽ですが、バンドが深く入り込んでいくにつれ、どこかから持ち込まれたものには聞こえなくなっていきました。
音楽が、居場所を見つけたのだと思います。
このセットの面白さは、長いツアーをともにしてきたバンドのような完成度にあったわけではありませんし、そうである必要もありませんでした。私たちが見ていたのは、ミュージシャンたちが客席の前で互いを発見していく過程でした。小さなリスクを取り、ときどき相手を驚かせ、その驚きがむしろ演奏を前へ進めていく。
やがてそれは、辞退したバンドの代わりを務めるための演奏ではなく、その瞬間にステージに立っていた人たちだからこそ生まれた演奏になっていました。
Solitary Circusは、午後をまた別の方向へ動かしました。身体に直接届くような、落ち着くことを知らない演奏で、ステージの周りの空気そのものを並べ替えていくようでした。青木慶太さんと折田祐介さんは、その前にMaxとの共演ですでにこの日の大きな流れの一部になっていたので、Solitary Circus自身のセットも、それまでの出来事から完全に切り離されたものには感じられませんでした。
高遠で起きてほしいと思っていることのひとつが、こういうことです。それぞれの出演枠を囲む線が、ほんの少しだけ透けていく。ミュージシャンは互いの演奏を見ます。ステージの横で知り合います。誰かが別の人の曲に加わります。もちろんタイムテーブルは必要です。それがなければ、一日はあっという間に混乱します。でも、その予定表の下に、もうひとつ別の構造がゆっくりできていきます。
ジロー・ヤマオカ&The Bandがステージに上がる頃には、フェスティバルはすでに長い時間を過ごしていました。
今年のヘッドライナーはジローで、そのセットには、それにふさわしいだけの時間を用意していました。午後も遅くなると、フェスティバルには独特の空気が生まれます。濡れていた服が少しずつ乾き始め、昼間に見かけた人同士が互いを認識し、出店者がテントから顔を出して音楽を聴き、ボランティアもようやく少しのあいだ立ち止まれるようになります。光も変わり、朝に最初のミュージシャンが演奏したときとは、同じ丘が少し違って見えていました。
ジローは長野県を拠点に活動するブルースギタリストであり、シンガーソングライターです。アメリカ南部のブルースやフォークの伝統と深く向き合いながら、それをそのまま再現しようとはしません。声には煙のような温かさがあり、ギターには身体的な強さがあります。そして何より、ブルースは昔とまったく同じ形で繰り返すことによって守られるものではない、という感覚が彼の音楽にはあります。
そのことは、彼自身のオリジナル曲を聴くとよく分かります。
言葉も風景も日本のものです。歌われているのは彼自身の経験や、その周囲にある場所ですが、その下に流れている音楽の文法には、長い時間をかけて吸収してきたブルースの痕跡があります。高遠で彼のオリジナルの日本語ブルースを聴くと、影響と場所との関係がとてもよく見えてきます。音楽は旅をしてきましたが、その旅の途中で、きちんと変化もしているのです。
それが、ジローの音楽が高遠で特に興味深く聞こえる理由のひとつだと思います。
2025年には、彼は二つの形で出演しました。まずソロで、そしてバンドで。ソロでは、自身の楽曲と古いブルースの伝統を行き来しながら、音楽的な系譜がよりはっきり見えました。一方のバンドセットでは、また別の面が現れました。ギター、ベース、ドラム、キーボードがひとつのグルーヴに入り込み、それは組み立てられたものというより、共有されているもののようでした。アレンジに従うというより、互いの呼吸の中で演奏していました。
今年、ジローがヘッドライナーとして戻ってきたことで、その関係はもう一度最初から始まったというより、昨年からそのまま続いているように感じられました。
セットには時間があり、ジローはその時間を使いました。
今年は、これまでの演奏で聞かれたようなスライドギターは使いませんでした。そのぶんギターの表情は違っていましたが、演奏にある同じようなゆとりは残っていました。フレーズには展開する時間があり、バンドは曲の奥へゆっくり入っていきました。そしてオリジナル曲がセット全体にしっかりとした重心を与えていました。自分の音楽がどこから来たのかを示すために、よく知られたブルース・スタンダードへ大きく頼る必要はありません。ジロー自身の曲の中に、すでにその歴史が流れていました。
いろいろな事情によって多くのことが圧縮された一日のあとで、時間をかけて広がっていく演奏を聴けたことには、ある種の心地よさがありました。バンドは分かりやすいクライマックスを急いで作ろうとはしません。曲も、ソロも、リズムも、それぞれが自分の重さを持つまで時間を与えられ、セットが進むほど、客席もその速度の中へゆっくり入っていくようでした。
その後、小野アイカさんがジローに加わり、二人で小さなセットを演奏しました。
フルバンドの後で、音楽の焦点が二人の演奏者の関係へと絞られていく変化は興味深いものでした。声と演奏がどこで出会うのかに自然と耳が向きます。アイカさんにとっても、それは自身のステージを繰り返すものではなく、この日の中に生まれたまた別の会話になっていました。
そして最後の数曲では、Maxもそこに加わりました。
その時点では、この組み合わせが持つ意味を、一日そのものがすでにつくっていました。客席は、朝になって予定していたバンドがいなくなったMaxが一人でステージに立つところを見ています。Gecko&Tokage Paradeが彼の新しいバンドとなり、ミュージシャンたちが互いのセットを行き来するのも見ています。そして夕方には、長野という場所と、ジローが長い時間をかけて自分の中へ取り込んできた音楽の伝統から生まれた彼自身のブルースを聴いていました。
だから最後にジロー、アイカ、Maxが一緒に演奏したとき、それはフィナーレを大きく見せるためにゲストを集めたようには感じられませんでした。それぞれが、この日の違う場所をすでに歩いてきています。最後の数曲でその流れが一度同じ場所に集まったことで、一日のあいだに少しずつできていた関係が、音として聞こえるようになっただけでした。
ブルースへ向かう場所の違う三人のミュージシャンが、高遠の同じステージで一日を終えました。そのことについては、あまり説明を加える必要はなかったように思います。
もちろん、この日のすべてを美しい話にすることはできません。
出店者やフードトラックにとって、雨にはとても現実的な影響があります。お客様の数も、商品も、準備も変わりますし、何かを濡らさずにサービスを続けること自体が難しくなります。遠方から来てくださった方も多く、決して理想的な条件ではありませんでした。それでも、一日を通してフェスティバルの風景の一部でいてくれました。
来場者は、食べ物やコーヒー、クラフト、音楽、会話のあいだを行き来していました。ひとつの目的で来た人が、途中で別の何かに出会います。私たちにとって、この小さな移動はとても大切です。フェスティバルは、気をつけていないと効率が良すぎる場所になってしまいます。予定された体験から次の予定された体験へ、人をきれいに移動させる場所です。高遠は、もう少し歩き回る時間があり、その途中で見つけたものがプログラムに書かれているものと同じくらい大切になる方が面白いと思っています。
一日の端の方で仕事をしている人たちについても、同じことが言えます。ボランティアの皆さんは、フェスティバル前から会場づくりを手伝ってくれました。当日も機材を運び、来場者を案内し、物を動かし、質問に答え、小さな問題を、多くの人がそれに気づく前に処理していました。フェスティバルを動かす仕事のかなりの部分は、こうして見えないまま進んでいきます。それでいいのかもしれません。
PAチームのMake A HAPPINESSも、同じような場所で仕事をしています。
客席から見ると、ひとつのバンドから次のバンドへの転換は、ほとんど何事もなく進んでいるように見えます。ミュージシャンが降り、次のミュージシャンが上がる。マイクが何本か動き、誰かがアンプにケーブルをつなぎ、20分後には次の演奏が始まります。その裏には、ステージプラン、バックライン、モニター、マイク、電源、サウンドチェック、ケーブル、時間管理、そしてそれぞれのグループ固有の要望があります。
今年はそこに、フェスティバル当日の朝に起きた大きなプログラム変更という、さらに強いプレッシャーが加わりました。それでも彼らは、いつもと同じ落ち着きでそれを吸収してくれました。ミュージシャンがステージに上がり、設備ではなく音楽だけに集中できるのは、彼らの準備と技術のおかげです。
そして今年も、彼らはフェスティバルを撮影し、編集してくれました。年を重ねるほど、その記録の価値を感じます。残るのは演奏だけではありません。その周りにあった一日も残ります。後から映像を見返すと、細かなことが戻ってきます。天気、ステージと出店エリアのあいだを動く人、ほかのミュージシャンの演奏をステージ脇で見ている出演者、雨が少し強くなって上着を頭にかぶる人、前の方にいる子ども、傘の下で笑っている人。
そういうものは、タイムテーブルには載っていません。それでも、予定された演奏と同じくらい、その日の一部です。
そして、来てくださった皆さんがいました。
来なければならない人は、一人もいませんでした。朝の時点で天気予報は十分に悪く、家にいることを選んでもまったく不思議ではありませんでした。実際、そうした人もいたと思います。それでも、傘やレインコートを持って高遠まで来てくださった人がいました。8月なのに、8月らしく振る舞うことをやめてしまった日の屋外で一日を過ごすには、ほんの少しの楽観が必要だったと思います。
濡れたベンチに座り、木の下へ移動し、ステージの近くに立ち、食べ、聴き、話す。多くの人が早い時間から来て、最後まで残ってくださいました。あるアーティストを目当てに来て、別のアーティストまで残った人もいました。そうして少しずつ、会場はテントやステージや機材の集まりではなくなり、私たちが一年かけて準備してきたものになっていきました。
一年の大半、私たちの仕事は、フェスティバルは計画できるという前提の上にあります。もちろん実務としては、そうでなければなりません。スケジュールも、保険も、機材も、交通も、ビザも、サウンドチェックも、そのほか何百もの判断もなければ、そもそもフェスティバルは成立しません。
けれど、本番の日はいつも、その考えを少し複雑にします。
あとになって最も鮮明に残るのは、計画書には書けなかったことだったりします。予定していたバンドがいなくなり、一人でステージに立ったMax。そのバンドになることを引き受け、曲を重ねるごとに二つの音楽の言葉を互いの中へ浸透させていったGecko&Tokage Parade。別々のグループのミュージシャンが互いのセットへ入っていったこと。雨が丘の音と時間の流れを変えたこと。そして夕方、高遠に夜が近づく中でジローが自分自身の日本語ブルースを演奏し、最後にはアイカとMaxが加わったこと。
だからといって、計画が重要ではないという話ではありません。むしろ、何のために計画するのかを思い出させてくれるのだと思います。誰を呼ぶか、ステージをどこに置くか、演奏時間をどれくらいにするか、何時に開場するかは決められます。人が出会える余白をつくり、意味のある偶然まで全部予定で埋めてしまわないようにすることもできます。その先で、ミュージシャンと観客と場所との関係がどう育つかまでは、こちらでは決められません。
Takato Rhythmという言葉は、もしかすると、そういうことが起きた瞬間に気づくために私たちがつけた名前なのかもしれません。
今年、それはさまざまな形で現れました。急きょ組まれた演奏が、互いを注意深く聴けるミュージシャンたちによって、探究心のある生きた音楽へ変わっていったこと。難しい天気の一日に付き合ってくれた観客がいたこと。アメリカ南部のブルースと日本のインストゥルメンタル・フュージョンが共通の場所を見つけたこと。そして夕方には、ジロー自身の日本語ブルースが、音楽は生まれた土地を離れても、その根とつながり続けることができると静かに示していたこと。
2026年について、あとになっていちばん長く残るのは、たぶんこうしたことです。計画が失敗したという話ではありません。実際、計画のほとんどは予定どおりに進みましたし、予想外の出来事がすべて結果的に良い方向へ向かったという話でもありません。現実は、それほどきれいにはできていません。
残るのは、状況が変わったとき、人がどう応えたかということです。そして、それぞれが最初に予定していた演奏を守ることだけを考えるのではなく、互いに応えようとしたことで生まれた音楽です。
来年も、またタイムテーブルをつくります。スプレッドシートが増え、誰かが高遠の入口を通る何か月も前から、また長い会話と判断が続きます。できる限り丁寧に準備するつもりです。
その一方で、その準備のどこかには、まだ誰のものでもない小さな余白を残しておきたいと思います。ミュージシャンと観客と天気と場所が、その中で自分たちなりの何かをつくれるくらいの余白を。

