一年のほとんどの間、フェスティバルは、実際に開催される場所よりも、計画の中に存在しています。出演アーティストとのやり取り、タイムテーブルの作成、機材やバックラインの準備、出店者やフードトラックとの調整、宿泊、印刷物、駐車場、保険、ビザ、サウンドチェック、そして8月が近づくにつれて増えていく天気についての会話。何か月にもわたる準備が、たった一日に集約されていくからこそ、その一日は直前まで不思議なくらい遠くに感じられるのかもしれません。
そして8月29日の早朝、ポレポレの丘が少しずつ姿を変え始めました。
お客さまが到着する前の会場は、まだ準備をする人たちの場所です。ステージやテントはすでに立ち、機材の確認が進み、スタッフが会場の中を動き始め、少しずつ車も入ってきます。山々に囲まれ、足元には草が広がり、朝の静けさが残るその時間は、まだ完全にフェスティバルになる前の高遠ですが、その穏やかな風景の下では、一日の運営がすでに動き始めています。
その週の天気予報は何度も変わっていましたが、前日の夕方には、時折弱い雨が降る程度で、十分に対応できそうな見通しになっていました。ところが翌朝、状況は再び変わり、さらにほぼ同じタイミングで、The Broken Blues Bandが出演を辞退するという連絡が入りました。彼らは自身のステージだけでなく、その後のMax Hightowerのサポートバンドとしても出演する予定で、メールが届いたのは夜のうち。予定されていたサウンドチェックまでは、すでに数時間しか残されていませんでした。
その後、会場に到着したお客さまの多くにとって、そこで起きたことの大部分はほとんど見えなかったと思います。そして、それでよかったのだと思っています。
フェスティバルには、問題が起きたとき、その問題をそのままお客さまに渡すことなく受け止められる力が必要です。タイムテーブルを組み直し、出演者と話し、PAチームと新しい進行を確認し、何より、自分には何の責任もない状況に突然置かれたMaxに、フェスティバルとしてきちんとサポートすることを伝える必要がありました。
Maxが高遠に来るまでの道のりも、決して簡単なものではありませんでした。最初のビザ申請に問題があり、改めて手続きを進めた結果、日本への渡航許可が下りたのはフェスティバルのほんの数日前でした。それでも彼はアメリカから日本へ渡り、高遠まで来てくれました。そして、一緒に演奏するはずだったバンドが当日の朝になっていなくなったことを、会場で知ることになります。
そのあとに起きたことは、プログラムには書かれていませんでしたが、私たちが高遠で生まれてほしいと考えているものを、これまでで最も分かりやすく見せてくれた出来事のひとつになりました。
Gecko&Tokage ParadeがMaxのサポートを引き受け、さらに会場にいたほかのミュージシャンたちからも、何かできることがあれば手伝いたいという声が上がりました。もちろん、通常のリハーサルを行う時間はありません。そこでミュージシャンたちは、話し、聴き、曲を確認しながら、限られた時間の中で一緒に演奏する方法を見つけ始めました。一方、The Broken Blues Bandが出演する予定だった時間も空いたままにはできません。そこでMax自身がアコースティックギターを手にステージへ上がり、もともとの予定にはなかったソロセットを演奏してくれました。
お客さまから見れば、フェスティバルはそのまま流れ続けていました。
私たちにとって、その「流れ」はとても大切です。ライブイベントの裏側には相当な量の準備と運営がありますが、その仕組み自体を目立たせることが目的ではありません。アーティストが演奏に集中でき、出店者が目の前のお客さまに向き合え、来場者が舞台裏で行われているすべての調整を知る必要なく、音楽を聴き、食べ、歩き、話し、何かを発見しながら一日を過ごせるようにする。そのために運営の仕組みがあります。
午前から午後へと時間が進むにつれて、雨もまた、その日の風景の一部になっていきました。
細かな霧雨のような時間もあれば、上着をしっかり閉じたり、傘を開いたり、木々や屋根の下へ少し深く入ったりする時間もありました。草は雨を含んでより濃い緑になり、谷の向こうの山々は低い雲の中に現れたり隠れたりしながら、時間とともに景色を変えていきます。野外フェスティバルは青空の写真で語られることが多いものですが、天気が変えるのは写真の背景だけではありません。人がどこを歩くのか、どこに座るのか、ステージにどれくらい近づくのか、そしてその場所にどれくらい長く留まるのかまで変えていきます。
それでも、多くの人が会場に残ってくれました。
そして一日が進むにつれ、ミュージシャンたちの演奏も、その周囲の環境に少しずつ反応しているように感じられました。solh instrumentalの音楽は、雨に濡れた風景の中にとても自然に収まり、ステージから広がった音が、木々や湿った空気、低く垂れこめた雲の中へ溶けていくようでした。ポレポレの丘は、単にステージを設置するための空間ではありません。傾斜した地面、客席を覆う木々、その先に見える山々、そして変化し続ける天候そのものが、音楽の聴こえ方を変えていきます。その場所に置かれる音楽もあれば、いつの間にかその場所の中に居場所を見つけている音楽もあります。
小野アイカさんとバンドは、また別のエネルギーを会場にもたらしました。力強く輪郭のはっきりした演奏でありながら、ブルースの根底にある会話のような感覚は失われず、セットが進むにつれて、人々は少しずつステージの近くへ集まっていきました。雨そのものは止んでいませんでしたが、その頃には、雨よりも音楽の方が大きな存在になっていたように思います。
その一方で、ステージの周囲では、フェスティバルのもうひとつの時間が続いていました。
フードトラックや出店者の皆さんにとって、この日の天候は決して理想的なものではありませんでした。屋外で営業する場合、雨が影響するのは来場者数だけではありません。商品を守り、機材を濡らさず、通常より難しい状況の中で接客を続けながら、その都度やり方を調整していく必要があります。遠方から高遠まで来てくださった方も多く、この天候が皆さんに余計な負担をかけていることを、私たちも強く意識していました。
それでも出店者やフードトラックは、このフェスティバルにとって欠かせない存在です。高遠ジャズ&ブルースを、来場者がステージだけを順番に見ていく一日にしたいとは考えていません。人々は音楽と食事、コーヒー、クラフト、そして会話の間を行き来し、ひとつの目的で歩いている途中に、別の何かに出会います。出店エリアやフードトラックがあることで、そうした小さな発見が生まれる場所ができます。すべての動きを効率よく次の予定へ導こうとすると、フェスティバルは少し整いすぎたものになってしまいます。高遠には、少し寄り道のできる余白を残しておきたいと思っています。
その間もステージ裏では、一日のプログラムが途切れることなく進んでいました。
客席から見ると、バンドとバンドの間の転換は驚くほど簡単に見えるかもしれません。ひとつのバンドがステージを降り、マイクが動き、ケーブルが差し替えられ、機材が入れ替わり、およそ20分後には次の演奏が始まります。しかし、その自然な流れの下には、ステージプラン、モニター、マイク、バックライン、電源、サウンドチェック、時間管理、そして各アーティストごとの細かな要望があります。
Make A HAPPINESSのチームは、そうした転換に備えて事前に丁寧な準備を重ねてくれていましたが、この日はさらに、当日の朝に発生した大きなプログラム変更にも対応することになりました。それでも落ち着いて状況を受け止めてくれたことで、ミュージシャンは機材や進行ではなく演奏に集中することができ、お客さまには、数時間前に舞台裏で起きていた問題を意識することなくフェスティバルを楽しんでいただくことができました。
Gecko&Tokage Paradeが自分たちのステージに戻ってきた頃には、彼らはすでに一日の一部を、別のアーティストの演奏を成立させるために使ってくれていました。
高遠に何度か来てくださっている方にとって、Gecko&Tokage Paradeはすでに馴染みのある存在ですが、馴染みがあることと、次に何が起きるか分かっていることは同じではありません。むしろ、同じミュージシャンを何年か続けて聴くことで、変化の方がよく見えるようになることがあります。互いの音を聴く距離、フレーズの間に生まれる空間、馴染みのある曲を少し違う方向へ動かす小さな判断、そしてバンドと聴き手との間に少しずつ積み重なっていく関係が聞こえてきます。
その後、MaxがGecko&Tokage Paradeをバックに本来のセットへ戻ってきたとき、その組み合わせがどのような音になるのかを、誰も完全には予想できなかったと思います。
アメリカ南部のブルースが持つ荒々しさや間、少し力の抜けたグルーヴを持つMaxと、ジャズ、フュージョン、即興的な対話を音楽の中心に持つ日本のインストゥルメンタルバンド。この組み合わせは、何週間もリハーサルをして作られたものでも、ツアーを重ねながら成熟してきたものでもありません。その朝の出来事によって、数時間前に初めて本格的に一緒に音を作り始めたミュージシャンたちでした。
最初のうちは、目線や小さな動き、少し長く伸ばされたフレーズなど、ステージ上で交わされる合図が見えていました。しかし演奏が進むにつれて、その合図は少しずつ減っていき、ひとりがもうひとりに合わせているのか、それともすでにひとつのバンドとして音楽を作っているのか、その境目が分からなくなっていきました。
そしてそのセットの中で、Solitary CircusのYusuke OritaさんとKeita Aokiさんも加わり、Maxのオリジナル曲「My Baby & Me」を一緒に演奏しました。
この組み合わせは、フェスティバルが始まる前のタイムテーブルには存在していませんでした。
それでも、その演奏が一日の流れから突然切り離されたものには感じられなかったのは、そこに至る関係がすでに会場の中で作られていたからだと思います。ミュージシャンたちは互いの演奏を見て、ステージの合間に話し、その朝に起きた変化にそれぞれの方法で応えていました。フェスティバルが用意したのは、ステージと時間、そして安心して演奏できるための支えでしたが、その中で生まれた音楽そのものは、ミュージシャンたちのものでした。
この違いは、私たちがTakato Rhythmという言葉で表そうとしているものを考えるうえで、とても大切です。
Takato Rhythmは、高遠ジャズ&ブルースの中にある別の企画やプログラムではなく、タイムテーブルに何かを追加すれば作れるものでもありません。むしろ、丁寧に準備された仕組みと、その中に意識的に残しておく「まだ決まっていない余白」との関係に近いものです。
アーティストが支えられていると感じ、お客さまが安心して一日を過ごし、会場で働く人たちが自分たちの状況をきちんと見てもらえていると感じるためには、その下にある運営が十分に強くなければなりません。ただし、その仕組みが整ったあとまで、すべての意味ある瞬間を主催者が決める必要はないとも考えています。
午後は、さらに形を変えながら進んでいきました。
Solitary Circusは、身体に直接届くような、落ち着くことのない強い演奏で会場の空気をまた別の方向へ動かしました。その前にAokiさんとOritaさんがMaxのステージに加わっていたことで、Solitary Circus自身のセットも、それまでの出来事から完全に切り離されたものには感じられませんでした。
こうしたステージ同士の境界が少しだけ透けて見えるような感覚も、高遠で大切にしたいことのひとつです。実際の運営にはタイムテーブルが不可欠ですが、それぞれの出演枠を壁のように閉じてしまう必要はありません。ミュージシャンがほかの出演者の演奏を見たり、舞台裏で出会ったり、誰かの曲に参加したり、お互いの音楽の間に自分たちが想像していた以上の共通点を見つけたりする。その可能性は残しておきたいと思っています。
ジロー・ヤマオカ&The Bandがステージに上がる頃には、ポレポレの丘は、朝とは少し違う場所になっていました。
お客さまもすでに一日のリズムに馴染み、濡れた服も少しずつ乾き始め、会場の中で何度か顔を合わせた人同士が互いを認識し、出店者の方がテントから顔を出してステージを眺め、スタッフにもようやく少し立ち止まれる時間が生まれていました。光も変わり、同じ丘が、朝に最初の音が鳴ったときとは違って見えていました。
ジローの音楽は、このフェスティバルが大切にしているもうひとつのことを、よく見せてくれます。
長野県を拠点に活動するブルースギタリストでありシンガーソングライターである彼の音楽には、アメリカ南部のブルースやフォークの伝統が深く流れていますが、それをそのまま再現しようとしているわけではありません。彼のオリジナル曲には、自分自身の経験、自分の言葉、そして自分の周囲にある場所があり、その下には、はるか遠くから旅をしてきた音楽の語彙が残っています。
その音楽を高遠で聴くと、影響と場所との関係がとても分かりやすく見えてきます。ルーツは確かに聞こえているけれど、音楽はその生まれた場所に固定されたままではなく、別の風景と別の人生を取り込みながら、別の土地で成長を続けています。
人と場所の間を音楽が移動していくことは、私たちにとって大切なテーマです。
アメリカのミュージシャンが自分の音楽を高遠まで持ってきて、ここで出会うとは思っていなかった日本のミュージシャンと一緒に演奏すること。あるいは、何千キロも離れた場所で生まれた音楽の伝統を、長野のミュージシャンが自分自身のものとして育てていくこと。そうした瞬間には、「文化交流」という言葉が抽象的な考えではなく、実際に耳で聴くことのできるものになります。
ジローのステージが終盤に近づくと、小野アイカさんが加わり、最後の数曲にはMaxも再びステージに上がりました。
その頃には、3人を一緒にステージへ上げることが、フィナーレを大きく見せるために用意された演出には感じられませんでした。それぞれが違う形で一日を過ごし、その道筋をお客さまも一緒に見てきたからです。
予定していたバンドを失ったMaxが一人でステージに立つところから始まり、Gecko&Tokage Paradeが新しいバンドとなり、ミュージシャンたちが一日の中で自然に互いのステージを行き来していく姿を、会場のみんなが見ていました。午後には小野アイカさん自身の音楽を聴き、夕方からは、長い時間をかけて吸収してきたブルースの伝統と、自分が暮らす場所の両方から形作られたジローの日本のブルースを聴いてきました。
そして最後にジロー、小野アイカさん、Maxが同じステージに立ったとき、それは新しく何かを付け加えたというよりも、その日ずっと少しずつ育ってきたものが、ひとつの場所に見える形で集まった瞬間だったように思います。
そのステージの周りには、この一日を支えたたくさんの人たちがいました。
お客さまが来る前から会場に入り、機材を運び、来場者を案内し、質問に答え、多くの人が気づく前に小さな問題を解決してくれたスタッフがいました。難しい天候の中でも営業を続けてくださった出店者やフードトラックの皆さん、ステージを止めずに動かし続けてくれた技術チーム、自分の出演枠だけに留まらず、ほかのアーティストを助けてくれたミュージシャンたち、そして会場のあちこちで、その一日が自然に流れ続けるための小さな判断を重ねてくれた人たちがいました。
そしてもちろん、来てくださった皆さんがいました。
その朝の天気予報を見れば、家にいることを選んでもまったく不思議ではありませんでしたし、実際そうした方もいたと思います。それでも、多くの方が傘やレインウェアを持って高遠まで足を運び、この一日を私たちと一緒に過ごすことを選んでくださいました。濡れたベンチに座り、木々や屋根の下を行き来し、ステージの近くに立ち、食べ、話し、音楽を聴いてくれました。ひとりのアーティストを見るために来て、予定していなかった別の音楽を聴いて帰った方もいれば、早い時間から最後の演奏まで会場に残ってくださった方もいました。
フェスティバルは、ステージが完成した瞬間や、タイムテーブルが出来上がった瞬間に生まれるものではないのだと思います。
準備してきた場所に、さまざまな人が集まり、それぞれの方法でその場所を使い始めたとき、初めてフェスティバルになります。
一年の大部分、私たちの仕事は「フェスティバルは計画できる」という前提の上に成り立っていますし、実際、その多くは計画しなければ成立しません。タイムテーブル、契約、保険、機材、サウンドチェック、アーティスト対応、出店者への案内、移動、安全管理など、お客さまが考える必要のない何百もの判断があります。
ただ、実際の一日は、その考えを少しだけ複雑にしてくれます。
2026年を振り返ったときに強く残るのは、いくつかの予定が変わったということだけではありません。それよりも、その変化を受け止めるための仕組みがあったことで、人がそれぞれの方法で応えることができたということです。Maxは演奏を続けることができ、ほかのミュージシャンは自然に力を貸し、PAチームはステージを組み替え、プログラムは流れ続け、出店者は営業を続け、スタッフは会場の問題に対応し、お客さまは舞台裏の問題の連続ではなく、ひとつのフェスティバルの一日として過ごすことができました。
それは、私たちがTakato Rhythmという言葉で表そうとしているものを、これまでで最も分かりやすく見せてくれた一日だったのかもしれません。
Takato Rhythmは、高遠の木々や山々の中で音楽を聴くという場所そのものから始まりますが、それだけではありません。互いの音を聴くアーティストたち、来場者と食やクラフトを届ける人たち、世界の別々の場所を旅してきた音楽の伝統、そして丁寧に組み立てられた運営と、どうしても計画することのできない瞬間との間に生まれる関係も、その一部です。
来年も、私たちはまたタイムテーブルを作り、スプレッドシートを増やしていきます。ポレポレの丘にもう一度ステージが現れるまで、何か月もの会話と準備が続きます。自然で開かれた一日を作るためには、その下にある仕組みを丁寧に準備する必要があるからです。
そして、その仕組みは来年、さらに強くしていきたいと思っています。
その一方で、その中のどこかには、まだ誰のものでもない、小さな余白を残しておきたいとも思っています。
ミュージシャンが互いの音を聴くための余白。お客さまが、見る予定ではなかった何かに出会うための余白。違う場所から来た人たちが出会うための余白。そして、高遠という場所そのものが音楽の一部になるための余白です。
それが、私たちがここで作ろうとしているものです。
2026年の一日を振り返ると、その形が少しずつ見え始め、そして確かに聴こえ始めていたように思います。



















